ツバルが人気のようだ。近いうちに水没する可能性が高いからだろうか?
海抜5メートルを言われるこの島ツバルで生まれ、育った子供達は自分の故郷が無くなることについてどう思っているのだろう?
ツバルでは台風のたびに2階に非難し、洪水から逃れる必要がある。
そしておそらくいずれ水没し、家も畑も牧場も全てが海に沈んでしまう。
日本でもダムに水没する村の住民がいるが、同じような気持ちだろうか?
私の息子が赤ん坊の時期を過ごしたアパートは今はもう建て替えられて存在しない。
田舎育ちの私からは考えられないことである。
私は四国の田舎で育ったので、自分の家はもちろんまだ昔のままである。
もう築60年を軽く超え、かなり危ない時期と言えるかも知れない。もっとも、おふくろが住んでいるのは築40年くらいの離れなので少しはマシだが・・・
子供の頃、一番楽しい時期を過ごした家や近くの遊び場が水没し、2度とそこで遊ぶことができないとしたら・・・
もしそれがわかっているのなら、ツバルの住民はそこに住んでいる一瞬一瞬を噛みしめるように大切に過ごすかもしれない。
そうであれば、むしろ、いつまでも故郷が存在する田舎よりもずっと充実した時間を過ごせるのかもしれない。
世界には故郷を捨て、海外で過ごす人も多い。
日本人にしてもアメリカやブラジル、カナダ、いろんな地域に永住している人もいる。
そういう人々にとって、日本の遊び場なんかもうどうだっていいのかも知れない。
ツバルの話を聞いてそんなことを思った。
以下Wikipediaのツバルに関する記事から引用する。
正式名称は、ツバル語で、Tuvalu。公式の英語表記も同じ。
日本語の表記は、ツバル。他に、ツヴァル、トゥバル、トゥヴァルもある。
国名は、ツバル語で"8つの島"を意味する。これは、1978年にイギリスから独立した時にツバルで人が住める島が8つだったことに由来する。
この国名には8つの島の人達が協力して国を作っていこうという意味が込められており、国旗のデザインにも表されている。
Tuvaluは現地語で次のような意味を持っている。TU (立ち上がる) + VALU = 8
[編集] 歴史
ツバルに人類が到達したのは紀元前のことと考えられる。トンガやサモアなど西ポリネシアから航海カヌーでやってきたポリネシア人(あるいはラピタ人)がこの島々の最初の居住者である。
ヨーロッパ人が訪れたのは、1568年にスペインから来たアルバロ・ド・メンダーニャ・デ・ネイラ (Alvaro de Mendaña de Neira)が最初である。植民は行われなかったが、奴隷貿易業者や捕鯨船員などがしばしば訪れていた。
ツバルは、1892年にエリス諸島という名前で、イギリスの保護領のギルバートおよびエリス諸島の一部になった。1915年に、保護領は植民地になった。1974年に、植民地内の人種の違いから、ポリネシア人の多いエリス諸島はミクロネシア人の多いギルバート諸島(後のキリバス)との分離を投票で決めた。そしてエリス諸島は、ツバルという名でイギリスの植民地として分離した。
1978年10月1日にはイギリス連邦の一員として独立が認められた。 1987年には国際連合の最貧国リストに掲載された。
1991年、プロテスタント(イギリス国教会)系であるツバル教会を国教にする法律が可決した。1995年の独立17周年記念日には国旗の図案を変更したことがある。一般公募約300点の中から赤・青・白の3色で構成され国章を左に、旧国旗の黄色の星を白に変更した星を右側にあしらった学生フィレモニ・パッシのものが選ばれた。これは海面上昇問題に際し英国が冷淡な態度をとったことに抗議したものと思われ、当時の首相はイギリス連邦脱退をも前提としていたが、(参考リンク)1997年には政権交代により旧国旗に戻される。
[編集] 政治
ツバルは、イギリス連邦内の立憲君主制の国であり、女王エリザベス2世を元首としている。女王の代理は、首相の助言で任命される総督が勤める。
国会はFale I Fonoと呼ばれ、15のメンバーで構成されている。メンバーは4年に一度選ばれる。このメンバーの中から政府の長である首相が選ばれる。政党は存在しない。
ツバルの首相
[編集] 地方行政区分
厳密に言うと、ツバルには行政上の下部組織がない。それは人口が少なすぎるためだが、この国は9つの島(環礁)に分けることができる。国名の由来にあるように、かつては当時無人島であったニウラキタ島を除き人が住める島は8つだけだった。9つの島を次に挙げる。
フナフティ島 (Funafuti)
ナヌメア島 (Nanumea)
ナヌマンガ島 (Nanumaga)
ニウタオ島 (Niutao)
ヌイ島 (Nui)
ニウラキタ島 (Niulakita)
ヌクフェタウ島 (Nukufetau)
ヌクラエラエ島 (Nukulaelae)
ヴァイツプ島 (Vaitupu)
[編集] 地理
ツバルは、世界で最も小さい国の一つであると同時に、土地がとても貧弱な国でもある。飲み水に適した水はほとんどなく、土地は農業には適していない。タロイモ、ココナッツ、バナナなどが自給のために生産されている。
ツバルは海抜が低いため、将来の地球温暖化による海面上昇に対して特に脆弱である。近年では、潮の高いときには地中から海水が湧き出し、畑に侵食して作物が被害を受けている。井戸の水も淡水から塩水へ変化しつつある。また、砂浜が削られる、海岸の植物が倒されるなどの海岸侵食も進んでいる。海水温の上昇によってサンゴ礁が白化し、漁獲高も減ってきている。
2001年にツバル政府は、海面の上昇が起こることにより、島(最高でも海抜5m)から避難しなければならないかもしれない、との声明を出した。モルジブなどと共同して、大量に温暖化ガスを排出しておきながら京都議定書に調印しなかったアメリカやオーストラリアを国際司法裁判所に提訴する動きもあった[2](裁判費用などの理由から実現せず)。政府はニュージーランド政府と協議し、集団移住を計画中。しかし、祖国を離れる事に反発する人も少なからずいる。オーストラリア政府は移住を拒否したが、2006年4月現在ではオーストラリア政府は毎年75名ずつの移住を受け入れている。
2004年2月中旬に、異常な高潮によって島の建物・空港などが浸水した。
[編集] 経済
ツバルには、天然資源がほとんどないため、その収入の多くは海外の援助に頼っている。主要な産業は、漁業と観光業である。ただし、ツバルは他の国から遠く離れた場所にあるため、あまり多くの観光客は訪れない。GDPの2/3以上をODAに頼っている。
政府の財源の主なものは、切手とコインの発行、および海外で働く労働者からの送金である。1000人ほどのツバル人がナウルで燐酸塩の採掘に従事している。もっとも、ナウルでは燐酸塩資源が減って来たため、徐々に労働者を帰還させるようにしている。また、1987年にオーストラリア、ニュージーランド、イギリスにより設立され、日本がサポートしている国際信託基金から、相当な収入を毎年受け取っている。ツバルの主な収入源としては、1988年の漁業協定によるアメリカ政府の支払い、台湾を外交承認する見返りとして得ている援助金も挙げられる。
外国の援助への依存を減らすために、政府は公共部門の改革を行い、その中にはいくつかの政府機能の民営化と職員の7%削減も含まれている。1998年から、ツバルはアメリカの電話番号の"900番"回線(日本でのQ2にあたる)の国内使用料による収入を得ている。2000年には、トップレベルドメイン名の.tvをリースすることで、収入を得るようになった。これらの新しい技術からのロイヤリティーにより、今後10年はかなり収入が増えると見られる。商品の輸出が輸入のほんの一部である現状で、継続的な収入として位置付けられるのは、漁業、通信に関わるライセンス料、海外の労働者からの送金、公的な無償援助などの移転所得、海外資産の投資収入になると見込まれている。
必要な電力はツバル電力公社がディーゼル発電でまかなっているが、関西電力が2007年5月28日に5,000万円をかけて出力40kWの太陽光発電設備を首都フナフティのサッカー場に設置すると発表し、同年9月着工、2008年1月に運転開始の予定である。 この電力で、ツバル約1,700世帯のうち50世帯の電力がまかなえる予定で、温暖化被害の象徴である国に新エネルギー技術を伝える設備が設置されることになる。
[編集] 国民
住民は、ほとんどがポリネシア人であり、わずかにミクロネシア人がいる。 97%のツバル人は、プロテスタントのツバル教会のメンバーである。キリスト教ではあるが、いくつかの現地固有の宗教の要素が混じっている。
ほとんどの人はツバル語を話しているが、ヌイ島の一部ではキリバス語を話す人もいる。英語が公用語ではあるが、日常会話で使われることはない。
[編集] 文化
ツバルでは、伝統的な共同体のシステムがかなり広範囲に残っている。それぞれの一族は自分達の仕事だけでなく、salangaと呼ばれる共同体のための仕事、例えば魚釣り、家の建築、防衛なども持っている。一族の技術は、父から息子に受け継がれる。


